妄想タケノコ
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幸せってどうやってなるの?
幸せになりたいとか、幸せになって欲しいとか、
思ったり考えたりするけれど、
実際のとこ、幸せ=不幸じゃない状態
という発想でしか理解できなかった期間が長かった。
というか、今でもわかっているのやら、どうなのやら。
幸せとか不幸とか。
その時々の気分で、二種類の捉え方を行ったり来たりする。

ひとつは、その時幸せな「気分」にあるなら、幸せ。

もうひとつは、人生や生活の様々な要素を、
ひとつひとつのパーツに分解して、プラスとマイナスに振り分けて、
それぞれのパーツに係数を掛けて合計を割り出して、
プラスなら幸せ、マイナスなら不幸せ。

一つ目の考え方、一見シンプルなようで、案外奥は深いのだ。

例えば、何度かこのブログに画像を載せているように、
私は、自分の住処の近所で富士山を見かけることが出来ると、
かなり幸せな気持ちになれる。
この「富士山が見えるとハッピー」の背景には実はいろいろな事情がある。
まずこの地域から富士山を遠望できる頻度が非常に微妙で、
年によっても違うけれど、ちょうど当たったらラッキーと思えるような、
そういう頻度。
それから、「今日はこの地方から富士山が見える」と言っても、
まる一日見えるわけではないことも多くて、
朝早い目の時間や夕方のある時間に、富士山の見える場所に立てたという、
その前後の状況もいろいろあるのだ、あるんです。

そもそも、富士山が見えるということは、おおむね、気圧が高くお天気がよくて、
比較的環境に左右されやすい体質であってみれば、
気分が良いに決まっているし、
あの山の形そのものが、
何か人の精神状態に安定をもたらす形なんだろうなあとも思う。
けれども、それをまた補強したり減衰させたりする要因も沢山あるんですよ、
でも、実は、そんな話は、今日はテーマではないのだ。

何といっても後者の方、幸せのパーツの話、それはもう、話し出すと、
いくらでも話せるんで。

特に今、自分の、ちょっと問題を抱える子どもが、
大人になって、少しでも幸せになれるには、
なんていうことを考えているわけで、
本人の「気分」の中には踏み込めなくても、
(と言いつつ、いろいろな専門家の講演を聞いた結果は、
 そういう「気分」を享受しやすい人格を形作るのが基本
 だったりする。)
親として、プラスのパーツを増やすことに懲りたくなるのだ。

で、あの、こんな話をするのは傲慢と思いつつも、
「パートナー選択の結果として、親に孫の顔を見せられない」
ことについても、言いたいことがあったりする。
パーツの話で言えば、「子どもがいる」っていうのは、
普通はプラスのパーツだし、
「親に孫の顔を見せられれば」プラス、「見せられなければ」マイナス。
親を満足させることが出来るかどうかっていうのは、
多くの人にとって人生のパーツとして大きな比重を占める、ことが多い。

自分自身については、ちょいと問題ありでも何でも、子どもが出来たし、
自分の孫については、いろいろ考え合わせると、
生まれて来ても、(遺伝的に)大変かもしれないタネがあって、
いなければいないで、それはそれでいいかもと思うので、
「普通の親の気持ち」っていうのとは、ずれているだろうし、
だから、やっぱり端の人が聞いても、「何言ってんの?」って感じになるのだが。

で、何が言いたいのかというと、
「親に孫の顔を見せられない理由」は実に様々あって、
その意味合いというか価値は、お互いにそれほど重さは変わらない、のです。

もともとの生殖機能が欠損あるいは損傷している、
容姿や性格や経済的な諸条件が悪くてパートナーを得られない、
異性の理想が高すぎてパートナーを得られない、
パートナーを得たけれど、自分かパートナーの生殖機能が低かったり
相性が悪かった、etc.
これらと、最初の話とで、「罪悪感を持つべき理由なのか」どうなのか、
を考えた場合、そんなに重さは変わらないのだ。

その人を選んだら、子どもは持てない、というパートナーを選ぶ、
という状況は、結局、自分の力では抗えない状況だ。
罪悪感というのは、自分で何とか出来た状況で何ともしなかった事に
覚えるべきものであって、どうしようもないときは、どうしようもないんです。


それでも、あれもこれもほぼ等価な重さを持つという発想は、
変だよと思う人もいるかも知れない。
でも、やっぱり、当事者が考える程、「自分だけが悪い」などということはないのだ。

私が学生の頃の知り合いで、その人はいくつか学年が上だったのだが、
容貌が怪異と言っていいほど醜くて、性格も悪いという男の人がいた。
が、話が面白いので、私はわりとしばしば仲良く会話していた。
さてその人が卒業してしばらくして、最近縁談の話がぼちぼち出ているという。
彼の言うには、
「容姿とか、性格とか、人をひきつける魅力とかいうことと、
 家柄とか収入とか地位とかの条件は、
 結婚相手を選ぶのには、同じぐらいの価値なんだってことが
 最近わかってきた」
ちなみにその人は、そこそこの富と権力を持っている家の出で、
一流大学法卒、省庁の中でも比較的力の大きい所の官僚になって
しばらく経っていた。
人によっては、当たり前のことかもしれないが、
配偶者を決める=好きな人と結ばれることだと漠然と思っていた私には、
それはとても受け入れがたい考えだった。
が、今、周囲の、配偶者を選択して10年以上経ち、
それぞれの作った、家庭のゴールともいうべきものが漠然と見えてきた人々を眺めると、
確かにあの人の言ったことの中には真理があったんだなと思う。

そして得た結論。
ある時点で自分にとってものすごく重いと感じられていたことでも、
実は、他の比較的軽いと感じられていたことと、
それほどの差異はないのだ。

というか、差異はない!と考えるのは、

自由だ~~~~~~!!

と言い切ってしまったもの勝ち、
そして、現にそこにある「幸せな気持ち」を遠慮なく味わったり、
きちんと自分が幸せと感じられるような道を模索する方が、
ずっと大事なことなのだ。







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