妄想タケノコ
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意地悪な人々についての話
先日紹介した意地悪な人々について。
記事も紛失してしまったし、
どちらにしろ内容を筆者の意図をきちんを再現して
伝えられる気がしないので、
私の思っていたことの範囲で、書く。

要点から先に言えば、意地悪な人々というのは、
何だか大変そうだなあ、と、
そういうこと。

親の立場から、子どもたちの意地悪を見る機会があった。
複数の親の話を聞く機会もあって
俯瞰的な立場から「意地悪」を見てみると、
意地悪と言うのは、「する側」のデメリットの
何と大きい行為なのだろうと思った。

意地悪というのは、案外見られている。
そして、意地悪を意図した行為というのは、
当事者が考えるよりも周囲に不快感を与えているものなのだ。
もちろん大人の意地悪は子どものそれよりは
はるかに巧妙に隠され、偽装されることもあるだろうが、
最終的に周囲の人間が不快に感じることに変わりはない。

始めは、される側に問題があると言われて納得することがあっても、
しばらく付き合ううちに、
結局のところ、意地悪な人間というのは、
何でもいいから標的を見つけて意地悪したいんだなということがわかってくる。

その人間と長く、あるいは深く付き合えば、
いつかは、自分に矛先が向くだろうなあということがわかってくるので、
誰もが、なるべくその人間とは関わらないように
気をつけるようになってくる。

良いことをしても、期待したほどの賛辞を得られなくなるし、
ちょっとした失点にも、思いのほか冷たい態度に直面するようになる。


意地悪な人の中にも、
自覚的に意地悪をする人もいれば、
本人はなんらかの必然性によって動いているのだと
思い込んでいる人もいる。

前者の場合、
多分意地悪によって生じるデメリットを
すでに意識していないはずがないのだが、
それでも意地悪しないではいられないところが哀れであり、
後者の場合は、
何故自分が不当に低く評価されるのか
わからないままに取り残されるところが気の毒。

生まれつき意地悪しないではいられない性格の人もいれば、
何らかの不遇な状態からくる鬱憤を、
自分より弱い立場の人間を貶めることで晴らそうとしてしまう人もいる。
前者の場合、
ここまでの人生の中でそれなりのマイナスの経験をしているはずなのに、
それでもやめられないというのが可哀そうだし、
後者の場合、
不遇な状態を引き起こしたのがどんな原因であれ、
他人に意地悪するという余計なところにエネルギーを使う分だけ、
不遇な状態から抜け出すためのポジティブな行動がとれず、
負のスパイラルに陥って行くリスクが大きい。

なんにしろ、
社会的地位にあからさまには反映されることはないかもしれないが、
自分の能力や努力にもかかわらず、
周囲の人間から微妙に距離を置かれるというのは、
しんどいことじゃないかなあ、と思うのだ。
本人がそのしんどさ自体、意識しない場合もあると思うけれど、
いつも、何らかの不満足感を抱えて生きることになるのだろうな、と。






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