妄想タケノコ
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父が亡くなった時のこと
父が亡くなった時のこと。

とりとめのない話になると思います。
父は、私が社会人としてきちんとやっていけないであろうことを見越して、
ずっと、あれやこれやと気を揉んでいた。
持病を持っていて、主治医にあと何年ぐらいと予告されて、
いつまでも見守り続けることが出来るわけではない、という事情もあった。

父は、私に、「よりよい結婚を獲得するために必要なこと」
と思われるようなことは、全く要求しなかったが、
異なる方向での努力はさせるべく、大変な労力を費やした。
私は、それが大変鬱陶しくて、そんな父から離れるために、
父の主張する方向に沿った努力をして、首尾よく故郷から遠く離れることに成功した。

遠く離れても、父とは仲良くなれなかった。
似ているから鬱陶しい、そういう相性の悪さを感じていたから。

受けている教育の最終学年となる時、私は、
卒業後、結婚する、就職はしない、という決断を母に伝え、
母は、父に伝えた。

その直後、父の持病は、最終段階に入り、
そして、最終学年の大型連休に入る直前に、亡くなった。
実家から遠く離れて暮らしていた私は、
連休の間、田舎風の、続いていく弔いの行事に参加し、
連休が終わると、普段の生活に戻った。

もともと遠く離れて暮らしているというのは、
誰かが「亡くなった」という実感を持ちにくいものだなと思った。

父の夢、と言ったものは、ほとんど見たことがない。
ただ一度、見たことがあるのを覚えている。
近代の日本画の作品か、その展覧会について、
父が何か、感想を言っていたような気がする。

父は、生前、日本画が大変好きだったので、私が首都圏に住みながら、
頻々と催されている美術関係の展覧会等に出掛けて行かないことを、
とても残念な、勿体ないこと、と言うことがあった。


父は亡くなる時点で、
私が、受けた教育を生かすような進路を取らなかったことを残念に感じていたらしいが、
また、私が給与所得者として生きていくのが難しいだろうことを、
よくわかってもいた、と思う。

父は私の人生について、
こんな風になったらとかあんな風になったらとか、
何度か口にしたことがあった。
その中の、最上の選択枝なのか、それは誰にもわからないことだが、
私の今あるありようは、
父が「こんな風になったら」と言った将来像の中のひとつ、ではある。

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