妄想タケノコ
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今日は桜が…

今日は、桜のつぼみがほころぶ日…。

って、私の写メじゃ、わかんないですね(^_^;)


いつものフリーペーパーをしていたら、全然知らない人から、「大変ね。気をつけて。」と、とても丁寧に声をかけられました。
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別れの挨拶について、思うこと

昨日、ある集まりで、ある人が個人的にお別れの挨拶を言いにに来た。
隣の市に引っ越すということで、街で出会うような可能性はいくらでもあるけれど、狭い地域を基盤に成り立っているその集まりで会うことはもう、ないのだった。
実は私は、その人の名を覚えていないのだった。
夫に、「そんな風に人の名を覚えないのは、とても失礼なことだ」と、かなりきつい調子で指摘されたことがある。
しかし、いつも私の頭の中で、名前に関するシナプスは、形成するのは難しく、失われるのは一瞬だ。
顔を合わせるのは多くて月に一回、立場は付き添い同士、名前を覚えては忘れを繰り返し、結局覚えられなかった。

だから、彼女が個人的に私に挨拶に来てくれた時(あとから考えると、他にも数名の人に同じようにひっそりと、挨拶していた)、なぜわざわざと、少し驚いたのも、事実だった。

けれど、時間が経ってあらためて考えてみると、むしろ、そのような間柄でこそ、きちんと知らされることが、こちらの心持ちが、すとんとあるべきところに落ち着くとも言える。
親しい間柄なら、時にお別れの会食もあり、引っ越し後の連絡先の交換もある。
頭の中で、「これは〇〇でご一緒して今は□□に引っ越した××さん」としっかり居場所が出来上がる。
けれど、「いつの間にか見なくなったあの人」というのは、例えば、少しの興味で買ってはみたけれど、読み終わることが出来ず、本棚にも整理できず、処分することも出来ず、居間の隅にちょっと置かれ続ける本のように、案外に何処かに引っ掛かり続けることがある。
夕方の富士山

日が沈んだ後の薄い紅色のグラデーションが、とてもきれいでした。

(私の携帯だと、少し朱色がかってしまうんですよね(;;))
豆苗なんですけど(^_^;)

2週間ほど前に買って、半分だけ食べて、あと冷蔵庫に入れた豆苗。

すっかり忘れてました!

今日、ふと見上げたら、


の、伸びてる~!!!
天使の梯子

上手く撮れない(T_T)
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